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J・S・バッハ/音楽の捧げもの

J・S・バッハ/音楽の捧げもの(ヘルマン・ベルナーによる新版)
         王の主題による5つのカノン(デッサウによる編曲版)
         6声のリチェルカーレ(ヴェーベルンによる編曲版)

ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団
アマデウス・ウェーバーシンケ(フリューゲル・ピアノフォルテ、通奏低音)、ジェルジ・ガライ、ヘルガ・ロッチャー(Vn)、ペーター・クリュグ(Vc)、ハインツ・フグナー(Fl)、フリッツ・シュナイダー(オーボエ・ダモーレ)、エルヴィン・クレツマー(Fg)、トーマス・ヴュンシュ、エルノ・クレポク(ヴィオラ・ダモーレ)、ハイニ・フォーグラー、ベルトラム・バルト(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、ウォルフガング・ウェーバー、ハンス・ヴェルナー(Vc)、ディーター・ツァーン(Bs)

録音:1972年5月24日、6月5日、ライプツィヒ・ベタニア教会に於けるスタジオ録音

J・S・バッハ/音楽の捧げもの

価格:

2,138円 (税込)

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WEITBLICK【ドイツ輸入盤】

ケーゲルによるバッハの「音楽の捧げもの」は、ヘルマン・ベルナーによる新版を用い、「王の主題による5つのカノン」はデッサウによる編曲版、「6声のリチェルカーレ」はヴェーベルンによる編曲版を用いるという大変ユニークな内容。現代音楽を得意としていたケーゲルならではの強いこだわりを感じさせますが、実際聴いてみれば他の「音楽の捧げもの」とは全く別物といっていいほど斬新な試みであることが分かります。独自の曲順や楽器編成はもとより、もはや現代曲といってもいいほど不思議な響きに度肝を抜かれます。しかも隅々までケーゲルの厳しい眼が光った丁寧で繊細な名演奏でもあり、ケーゲル・ファンや「音楽の捧げもの」に興味をお持ちの方にとっては必携のアルバムといえるでしょう。

以下は許光俊氏によるライナー・ノートより抜粋です。

「冒頭、鍵盤楽器の音色にまずは驚かされる。通常は、チェンバロによってフリードリヒ大王の主題が提示されるはずなのだが、これはチェンバロではない。かといって、1950年頃までのバロック演奏では常識であったようにピアノで弾かれているわけでもない。現代のプリペアド・ピアノのようにも聞こえるが、録音データによれば、フリューゲル・ピアノフォルテと記されている。あとを聴けばわかるように、実はこの演奏では通奏低音としてチェンバロも用いられている。チェンバロがなかったわけではないし、弾く奏者がいなかったわけでもない。推測するなら、ソロで重要な主題を提示するためには、チェンバロでは弱すぎると判断されたのではないか。あるいは、バッハがフリードリヒ大王の目前ではそうしたと思われるように、フォルテピアノが用いられたのか。王は、鍵盤楽器作りの名人ジルバーマンによる楽器を所有していた。
それ以後、ひとつひとつの楽曲が丁寧に奏されていく。ケーゲルらしい、くそまじめな演奏である。普通はこの作品のためにはあまり用いられないオルガンも登場する。いずれにしても、ここには宮廷で奏されることを期待するような雅な雰囲気は皆無だ。それぞれの楽器の音色のぶつかりあいは、まるで20世紀音楽みたいなのである。さらに、なんと終わりから2つめの「4声のカノン」では、思いがけず合唱の声が聞こえてくるのに驚かされる。が、それより何よりこの演奏が異色なのは、「王の主題による5つのカノン」がデッサウによる編曲版、「6声のリチェルカーレ」がウェーベルンによる編曲版によって演奏されていることだ。管楽器、ことに金管楽器の響きを主体にしたデッサウの編曲からは、くすんだ工業都市の夕焼けが連想される。ここからキャバレー音楽まではすぐそこだ。他方、ウェーベルンのほうは、繊細で微妙に音色がうつろうロマンティックな音楽である。また、それ以外の曲、ことに後半の曲においても20世紀的と呼ぶほかないような響きが作り出されているのも明らかである。こうした音楽が混ぜ合わされた結果、この50分ほどの「音楽の捧げ物」は、いにしえと20世紀が並立し、あるいは交錯する不思議な時間的経験となった。これを一種のコラージュと呼んでもいいかもしれない。」

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